挨拶のルーツ。それは、「礼」として中国の戦国時代に生まれ、人との争い(戦い)を防ぐための作法の一つとして挨拶があります。 上の者に対しては服従の礼をする、儀式(祭り事)においての失礼のない作法、目上に恥をかかせない対応をするなどの概念が創られました。 これらが日本においての礼節として重んじられ、結果、人物評価に繋がります。誰にとって必要なのか、どう大事なのか、誰が損をするのか、 どう実践されているのか、どういう「心」で行われているかが会社の成長に直結するのです。
挨拶は、「礼」を由来としています。「礼」は、人間関係を円滑にする、
社会的な秩序を守るなどの道徳的な規律であり、紀元前551年~479年頃、
中国の思想・哲学者であった「孔子」という儒教家が、
冠婚葬祭の作法や政治、学問などの根本精神について述べたものが「礼儀」というものの概念を創り、
それが「礼」の教えの始まりと云われています。
そして、挨拶は、礼儀を持って言葉や態度で示し、
人間関係を円滑にし、争いを防ぐ上で必要だと説いていると思います。
また、「五常(ごじょう)」という「仁(じん)」「義(ぎ)」・「礼(れい)」「智(ち)」・「信(しん)」を常に心掛け、
なおかつ、実践しなければならないと説いています。
・人に対しての思いやり、いたわり、優しさが「仁」
・義理や、恩義、儀式、儀礼などの人としてのお手本である「儀」
・人同士での作法や儀式での作法である「礼」
・人としての正しき道理をわきまえる「智」
・嘘をつかない誠の言葉であり、信用信頼を表す「信」
「五常」は、人間関係を円滑に進めるだけでなく、人格形成にとって大変重要な事でありこれら「五つ」が、「常」に実践することと書いて五常と言い「心根」を説いているのだと思います。
挨拶は、言葉を発したから、頭を下げたから、腰から折ったから、斜め○○度にしたから・・が、挨拶では無いのです。そこに「心」が伴わなければ意味がないと言っているのです。
挨拶は、言動・態度・心が伴わなければ挨拶にならず!!なのです。
朝、出勤して「おはようございます」と言葉を発し、頭を下げる。これに「今日も勤めさせて頂き感謝します。
皆さん、今日も宜しくお願いします」という心を持って挨拶したならば、その挨拶は見事な自然体であり、一番伝わるものになります。
どんな挨拶にも心が伴う。ここが原点です。当然、社長に対しても感謝の念があってこその挨拶であるということを、管理職は認識し自ら実践し継続する。 やがて習慣化する。それを全社員が真似て実行する。これが社員教育なのです。腰を○○度折って・・。目線は・・。手は・・。背筋は・・。 言葉の後におじぎ・・。いらないんです。そう、自然体の挨拶をするためには、「心の在り方」が一番大切な事であり、「心の教育」こそが、真の社員教育であるのです。